Logs of Daichi Misawa

20181124

『玲玖』

Rei-kyu-0-9-000
Draft for the aspects of 0–9.

ご挨拶
 ご無沙汰しております。唐突ですが、新作『玲玖』を発表致します。少し時間がかかってしまいました。作品の展示会場来場者の方には解説のリーフレットは配布する予定ですが、こちらLogsにもデモ音源と共にPDFをアップロード致します。その他のデモ音源等の情報は今後追加されます。

経緯
 これまでの私のサウンドインスタレーション系作品は、美術館等で展示やコンサートをすること、そのために超指向性音声等を媒体とする立体構造である「透明な彫刻」を形成すること、を前提としている作品が多かったと思います。内容も、ある意味、実験的だったかもしれません。対して、新作『玲玖』は今までの作品内容を継承し更に発展させること且つ日本の公共空間や各種施設で自然に利用、体験又は展示できるようにすること、を目標に設計されたものです。今後、新作及びその後継作品が、既存の音楽文化に加わる「もう一つの音楽」として寄与できればと思います。以下に、リーフレットの内容を転載致します。「環境との相互作用に起因する繊細なゆらぎが(生じる)」との記述は、「演奏現場のカルチュラリティが反映される」と理解していただいて大丈夫です。

リーフレット


玲玖

非線形音楽シンセサイザー


 『玲玖』は、環境を音源として「どこでも生演奏」を可能にする音楽シンセサイザーです。楽器のように、様々な楽曲を演奏できます。
 玲玖の音色は、環境の自然な発振(振動)に由来し、かつ音楽的に制御された音のため、環境との相互作用に起因する繊細なゆらぎ、非線形波形、を有しています。周囲の振舞をナチュラルに反映し、静かなところでは静的なゆらぎが、動作の激しいところでは動的なゆらぎが、音鏡のように写し出されます。既存の生楽器の演奏音、アナログ生成音又はデジタル生成音とは異なる繊細で心地よい響きを演奏できます。これまでに「言葉にできないけど心に響く」、「レトロな世界に迷い込んだみたい」、「音が良い!」、「21世紀にふさわしい、最新の楽器」などの声を頂いています。
 玲玖の役割の一つは、心の自然とマッチする感覚が不足ぎみの方が気分転換をすること、癒しを感じること、安定した精神で健康的に毎日を過ごすこと、のお手伝いであると考えています。加えて、ミニ美術館のような場所をポップアップショップのように提供し、既存のカフェや休憩所とは異なる癒しと発見のある、自分だけの体験に近い新鮮でパーソナルな、体験を提供することも考えられます。その結果、既存の休憩スペース等とは異なる、家族連れやカップル又は会社勤めの方など、街を行き交う方々にとっての「自然音に由来する癒しと発見ある、もう一つのリフレッシュ空間」を提供します。
 玲玖の設置場所は、各種施設のエントランス、通路、休憩スペース又はビルの一室、瞑想神秘スペース、また展示会や発表会等、さまざまな癒し、発見、驚き等が求められる場所です。
 玲玖の応用によって、音環境を楽器として演奏することができます。今後、様々な音声文化への応用とその普及のために、作編曲や改良が進められる予定です。

<製品名>玲玖(仮名)<製品コード>RK001<仕様>構成:音環スピーカ・音環制御器・アンプ、音環スピーカサイズ:約350mm (w), 9200(h) 350(d)、音環スピーカ最大出力:約96db(1m、ピアノ演奏音程度)、音環スピーカ指向性:無指向性、音環制御器:約100mm (w), 40(h), 80 (d)、音環制御器消費電力:約12.5w、アンプ:約86mm(w, 26(h)×67(d)、アンプ消費電力:約22w<利用方法>電源のオン/オフ:電源ケーブルのスイッチを入/切して演奏を始動/終了。音量:アンプのボリューム調節で随時変更可。

* 特許出願中(Patent Pending)
** 仕様は変更される可能性があります


問い合わせ:お名前/設置場所/設置日等と共に三澤太智( info@misawadaichi.net )まで



平成30年11月24日
太智

20171114

カルチュラリティが象徴するもの

swan in the dark

 今回は、カルチュラリティが象徴するものとその価値等について。簡潔に書きます。

カルチュラリティ(culturality)とは?
カルチュラリティとは、行動様式の一種であり、伝統を再演しているように見える相互作用(interaction)です。カルチュラリティ分析およびカルチュラリティ合成とは、伝統を再演しているように見える相互作用、の研究手法です。カルチュラリティのアートとは、伝統を再演しているように見える相互作用、を主題とする作品です。

カルチュラリティは波なのか、または、波を象徴とするのか?
Culturalities論文における「波」という表現は、比喩です。

カルチュラリティとは多元主義(pluralism)なのか?
カルチュラリティの観点から見ると、この種の問題は、このように問わなければなりません「そもそも、多元主義とはいったい幾つのことなのか」。

カルチュラリティとは進化論に基づくのか?
カルチュラリティの観点から見ると、この種の問題は、このように問わなければなりません「そもそも、進化論が事実なら、進化論の先祖は何なのか」。

カルチュラリティ合成とは価値があるのか、善なのか?
カルチュラリティの観点から見ると、この種の問題は、このように問わなければなりません「そもそも、これまでの文化は純粋なのか、純粋ならその本質はどこに存在するのか」。


もしかしたら、また来年の春以降に。早いですが、みなさま良いお年を。


平成29年11月吉日
太智

20171021

Veda-Conficius Effect

Those dancing following a certain form, in the installation of Transparent Sculpture, August, 2012
Dancers, Transparent Sculpture, 2012

 美意識とカルチュラリティについて、衆議院議員選挙に関連して。

 ある批判されがちだった政党の一部の方が、新たに結党したところ、何らかの理由により、一定の支持を集めているようです。一部の方は、判官贔屓効果だな、って思いませんでしたか?私は思いました。判官贔屓効果とは、大雑把に述べると、信義忠孝を尽くしたように思われるが逆境に至る(源義経や忠臣蔵のような)物語に同情共感する行動、かな、と思います。もしかしたら日本人は、武士道的な物語を取り分け好む、逆に、御都合主義者や現金な人たちを意地悪な登場人物のように見なしがち、なのかもしれません。もちろん、ここは詳しい議論が必要です。

 判官贔屓効果とカルチュラリティの関係について、少し、考えてみると、どうやら、実は、そのような美意識に類する、何らかの美意識を、源義経の鎌倉時代よりもっと歴史を遡ったり、あるいは江戸時代経由で現代へ下ったりして、考えることもできそうである、と思えないでしょうか。私には、古代と現代を結びつけるように、何らかのカルチュラリティの潮流を辿れそうに、思われます。その際、もしかしたら、観察されたものを「日本」等の言葉にこだわって捉えない、ことが求められるかもしれません。結果、観察された内容は、Veda-Conficius Effect や Hanasaka Effect、なんて名前がつけられる、かもしれません。

 どなたか研究なさってください。その際は引用を(以下略。

 美意識とカルチュラリティについて。この稿は、特定の政党を批判または支持するものではありません。


平成29年10月19日
太智

20171010

DaiChube

撮影:September 15, 2017

 本格的に、秋の風情になりつつあります。寒くなりましたね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。月は、満ちては欠け、満ちては欠け。本当に、満ち欠けしているのか、最近の疑問です。

 今回は、自撮り動画です。ご興味のある方が、居るかどうかわかりませんが、思うところがあり、やってみました。

 私室で即興で、撮影しています。思いつきでパッと撮りました。その場で考えながら話しているので、多少散漫かもしれません。さすがにまずいかな、と思って、ボツにすることも考えましたが、ここLogsでは、できるだけ直感性や自発性を維持したいという気持ちがあるため、また、嘘はついていないため、そのままアップロード致します。

 無作法に見えたら、申し訳御座いません。ただ、大事なのは、「作法」などという言葉にとらわれないことではないでしょうか。

 以上、自撮りでのご挨拶です。

 今回も、ご閲覧ありがとうございました。



字幕:

 「(コオロギの鳴き声)

 こんにちは、三澤太智です。

 一応、今、テストで、撮影している状況です。

 ユーチューブを使った、[映像系の]表現をしてい人って、増えてるとは思うんですけど、

 自分を出すっていうより、チャンネルの一つとして、

 自己表現っていうわけではなく、コミュニケーションの方法の一つ、チャンネルの一つ、として、

 自分だけでなく、他の人のコミュニケーションの一部にもなって、

 で、それがまた、他の人のコミュニケーションのきっかけになるような。

 そういうことが、理想としては、ですけど、できればなと思って、

 ちょっと試しに撮影しています。

 じゃあ、一応、挨拶となりますので、以上にします。」


平成29年9月18日
太智

20170909

『Culturalities』の邦訳

photo at a dinner with mentors, et al., August, 2017

 立秋の風なびく候となりました。いかがお過ごしでしょうか。秋といえばキノコ、キノコといえばカルチュラリティ。今回は、カルチュラリティの訳語について。気軽に徒然と書き出したつもりが、内容が内容のためなのか、多少長くなってしまいました、また、編集したため、少し堅く見えるかもしれませんが、以下、よろしくお願いいたします。

 まず、culturalityの考えられる二つの訳語、「文化性」と「カルチュラリティ」、を比較します。

 文化性:これは、一般の文書等で、現在、私が、使っている訳語です。まんまで、無骨、無思慮に見えることをいとわないなら、また、最低限の意図をとにかく伝えたいなら、これで良いような気がします。官僚的な。インタラクションを、対話性と訳すようなものでしょうか。

 カルチュラリティ:この訳語のよい点は、カタカナのため読みやすい、馴染みやすい、と言うことではないでしょうか。また、響きも悪くない。カジュアルに使えそうなので、ここで利用しています。問題があるとすれば、横文字一般がよく批判されることですが、ぱっと見、意味がわからないことかもしれません。

 どちらも一長一短のようです。なので、以下、補足します。

 culturalityの含意:英語のcultureには、培養とか養生、というような意味があるのですが、それについても念頭に置いてもいいかな、と思います。キノコがニョキニョキ育ってゆく、あるいは、畑を耕す、ようなニュアンス。なので、大雑把に言えば、素朴な意味合いで、カルチュラリティは、文化を耕す、色々あるけど良いコンディションをキープする、プロセス、という含意を持つ、と思ってもらって良いような気がします。

 culturalityの用法:日本では、アートと文化をまとめて「文化芸術」などと表記することが、しばしば、あると思います。しかし、アートを特定のシンボル、カルチュラリティを四季のような連続的な展開の一場面、と理解すると、実は、両者は、対極の概念のように、響きませんか。アートがブロックだとしたら、カルチュラリティは流れのような。鋼のように強固なのか、あるいは水のように流動するのか。堅牢な階段を昇ることを理想とするのか、しなやかに降ることとするのか。イコン画家なのか、花咲か爺さんなのか。不滅か転生か。このような意味で、何かについて「それはアートでもあり、カルチュラリティでもあるね」みたいな表現が、できるかもしれません。なお、これらの比較は、考察のための比喩であり、善し悪しの話はしていません。

 類語:上述を踏まえ、創造や適応などを、類語として挙げられるかもしれません。あるいは、因果や盛衰など。

 以上、culturalityの訳語について、ニッチな内容ですが、ご参考になれば。ここLogsは、気軽な場にするつもりが、なぜか真面目な内容になってしまいました。ところで、このような翻訳上の問題から、『Culturalities』論文の邦訳の公開は、今の所未定です。長くなりましたが、本当は、これが言いたかったのでした(笑)。でも、大切なのは、観察されたものを必ずしも言葉の問題として捉えないこと、ではないでしょうか。

ご閲覧ありがとうございました。


平成29年8月29日
太智

20170808

ユーロビジョン合唱コンテスト2017

photo at Innsbruck, 2016

 今回は、あるテレビ番組について、カルチュラリティに関連づけて、書きます。

 ヨーロッパには、ユーロビジョンという、コンテスト形式の歌番組があります。個人対抗形式の紅白のようなもの(?)ですが、今年初めてユーロビジョン合唱コンテストが、催されたようです。私が以前滞在していた、リンツからも1チーム、オーストリア代表として、出場しています。「そうそう、こんな感じだった」と、記憶が蘇ってきます。

 合唱といっても、もともと教会音楽だったようなのですが、内容は、コンテンポラリーなもの、ジャズやダンスや前衛等、色々な要素が入ったパフォーマンスが行われていています。おそらく番組構成としてではないでしょうか。また、女性だけのチームから男性だけのチーム、あるいは混成など。これは、国別の特徴を反映しているのかもしれません。他には、ヨーロッパの人達同士も言語が違うと判別つかないらしのですが、方言を前面に出した民謡を歌ったり。

以上、紹介です。

Rah!!


平成29年7月29日
太智

20170707

「言葉」を記します

From exhibition of Back To Now, U10, Belgrade
Back To Now, U10, Belgrade, Jun 22, 2017.

 テキストを、ブログ的なノートや写真などのメディアも含め — 「文字」や「言葉」と言われている物 — をインターネット上に少し発し始めようかと思います。

 これまでアーティストとして、ある意味、生き残ってゆくために文書や論文を発表してきましたが、これはよくある日記やエッセイに近い内容で、お話できる範囲で、閲覧してくださる方と仮想的なコミュニケーションが取れたらと思います。ですので、作品や論文等に関わる内容、過去や将来の活動、についても言及する可能性がありますが、ある意味、オフレコ(非公式)的な内容、頭をよぎった事、余談など、こぼれ落ちそうなものを拾う感じです。その点をご了承の上、閲覧いただければと思います。

 あと、ホームページデザイン的な観点でも、もっと直感的なコンテンツもあったほうがいいかなと。また、デフォで英語なので、これは日本語で。(笑)


平成29年七夕(新暦)に、
太智