Logs of Daichi Misawa

20170909: log 003

Culturalities の和訳

photo at a dinner with mentors, et al., August, 2017

立秋の風なびく候となりました。いかがお過ごしでしょうか。秋といえばキノコ、キノコといえばカルチュラリティ。今回は、カルチュラリティの訳語について。気軽に徒然と書き出したつもりが、内容が内容のためなのか、多少長くなってしまいました、また、編集したため、少し堅く見えるかもしれませんが、以下、よろしくお願いいたします。

まず、culturalityの考えられる二つの訳語、「文化性」と「カルチュラリティ」、を比較します。

文化性:これは、一般の文書等で、現在、私が、使っている訳語です。まんまで、無骨、無思慮に見えることをいとわないなら、また、最低限の意図をとにかく伝えたいなら、これで良いような気がします。官僚的な。インタラクションを、対話性と訳すようなものでしょうか。

カルチュラリティ:この訳語のよい点は、カタカナのため読みやすい、馴染みやすい、と言うことではないでしょうか。また、響きも悪くない。カジュアルに使えそうなので、ここで利用しています。問題があるとすれば、横文字一般がよく批判されることですが、ぱっと見、意味がわからないことかもしれません。

どちらも一長一短のようです。なので、以下、補足します。

culturalityの含意:英語のcultureには、培養とか養生、というような意味があるのですが、それについても念頭に置いてもいいかな、と思います。キノコがニョキニョキ育ってゆく、あるいは、畑を耕す、ようなニュアンス。なので、大雑把に言えば、素朴な意味合いで、カルチュラリティは、文化を耕す、色々あるけど良いコンディションをキープする、プロセス、という含意を持つ、と思ってもらって良いような気がします。

culturalityの用法:日本では、アートと文化をまとめて「文化芸術」などと表記することが、しばしば、あると思います。しかし、アートを特定のシンボル、カルチュラリティを四季のような連続的な展開の一場面、と理解すると、実は、両者は、対極の概念のように、響きませんか。アートがブロックだとしたら、カルチュラリティは流れのような。鋼のように強固なのか、あるいは水のように流動するのか。堅牢な階段を昇ることを理想とするのか、しなやかに降ることとするのか。イコン画家なのか、花咲か爺さんなのか。不滅か転生か。このような意味で、何かについて「それはアートでもあり、カルチュラリティでもあるね」みたいな表現が、できるかもしれません。なお、これらの比較は、考察のための比喩であり、善し悪しの話はしていません。

類語:上述を踏まえ、創造や適応などを、類語として挙げられるかもしれません。あるいは、因果や盛衰など。

以上、culturalityの訳語について、ニッチな内容ですが、ご参考になれば。ここLogsは、気軽な場にするつもりが、なぜか真面目な内容になってしまいました。ところで、このような翻訳上の問題から、論文 Culturalities の和訳の公開は、今の所未定です。長くなりましたが、本当は、これが言いたかったのでした(笑)。でも、大切なのは、観察されたものを必ずしも言葉として捉えないこと、ではないでしょうか。

ご閲覧ありがとうございました。


平成29年8月29日
太智